2018529 青木ヶ原樹海レポート
YouTuberのローガン・ポールさんが投稿した青木ヶ原樹海の動画。すこし前の話ですが、かなり話題になりましたね。
一昨日、樹海に行って参りました。数年前から自殺という行為、現象に興味を持っていました。死ぬまでの間に自分なりの答えを見つけたい事の1つです。
樹海は自殺の名所として漠然と有名ですよね。鶴見済さんの「完全自殺マニュアル」にも樹海について数ページ記述があります。冒頭を引用させていただきたい。
「あなたが仕事や人間関係に疲れ、絶対に誰にも知られずにひっそりと自殺したいのなら、迷わず樹海に踏み入ることをお薦めする。樹海ほど死体が見つからず、なおかつ入り込みやすい自殺場所はまずない。」
ではさっそく、今回の樹海散策のレポートを書いていきます。
富岳風穴バス停で降りた僕は、ネットで樹海への入り方を検索しながら風穴の入り口の方へ歩いていった。
すると青木ヶ原樹海遊歩道の文字と左を指す看板がある。←
左に曲がると青木ヶ原樹海の看板。
少し進むと別れ道。左は氷穴、右は精進湖となっている。僕は真っ直ぐ進むことにした。
ここから舗装されていない足場の悪い道になる。
見渡す限り森。振り向く度に、あっちから来たんだよなと呟く。方向感覚が無くなっていく恐怖。
僕と同じように樹海を散策しに来たのであろう人達の跡が残っていた。
ゴミが散乱。
そして。
持ち主を失った鞄達。
中身がほとんど外に出されていた。財布は見つからずカードが生身で落ちていた。
なんだろう、あれ。
花束だった。
どんな経緯でこの花束はここにおいていかれたのか。
すこし離れたところにもう1つ。
苔の生えた靴。もう片方はどこにいったのか。この靴を履いていた人はどこに行ったのか。靴が必要なくなったのだろうか。
最終のバス出発時刻が迫ってきた。Googleマップで現在地を確認しながら回れ右。真っ直ぐ進んでいく。あれ?道路からより離れていってないか??
冷や汗がじわじわ流れ出してくる。遊歩道に出た!!ひと安心。車の走行音が、聞こえてきた。
結局樹海に入った地点から百メートル以上離れた所に出てきてしまった。迷子になる危険大!!!身を持って知ったので次はきちんと対策したいと思った。
バス停に立っていると車が目の前で止まった。助手席に座る男性が声をかけてきた。
「どこの人?」
「これからどこに行くの?」
風穴を見に来たんです!これから家に帰ります!と元気に答えた。
「気をつけて帰ってね!」と車体を指差して笑った。
青木ヶ原ふれあい声かけ事業と書かれていた。
足の無い蟻と首の無い鷹
メタファーと打とうとしたのだが、ほんと偶然にへたふぁーと打っていた今。
僕は優しい人ではないんだ、という話。客観と主観について。神話でも何でも、全て物語は独りでは成り立たないものなのだろうか。二人の場合には誠実な客観が生まれ、三人以上の場合には水溜まりに油が混じっているような気持ちの悪い客観が。。。
(ノ-_-)ノ~┻━┻
僕は優しい訳じゃない。優しい振りをしているだけなんだ。それだけなんだよ。
シャーデンフロイデについて。
どん底より底無しの方が深いこと。
過去の記憶や思い出を今うつしかえることで、僕はその当時の抑圧された感情や衝動を昇華しようとしているのかもしれない。その時、誰にも伝えられなかった挫折や妄想その他暗く湿った欲望を、希望だ未来だという形骸中のケイ害の泥水の中へ引き込んでいくのだ。泥々の今に。
器の中をサーッと動き回る無数の虫。
トーントーントーントーン(カーンカーンカーンカーン)
と警告音。電車が近づいてくる。私はカーテンを引き、窓を開けて飛び出す。もはや足の裏に痛みなどない。線路へ駆け上がった。
人間に考えられないことは、人間には考えられない。当然だ。
バイトだよ
バイトについて話すのに仕事という言葉を使うんでは、なんか嫌だなと思う人もいるかもしらんが、そんな人はランカスターで、書いていきます。
人生初のお仕事2週間くらいが経ちました。たった2週間だけど、かなり濃い時間でしたねぇ。
そもそも働くのは嫌いじゃないだろうと思っていた僕でしたが、まあその通りで楽しいですよ。お仕事の種類によったんだとはおもいますけども。その点では幸せでしたね。
仕事中に思ったこととか考えたことをφ(..)メモして残したりしていて、その点でも非常に良いです。ぼけーっと家にいるよりは多くのことを考えますね。
キリトリ
視力の悪化について。
高校入った辺りに初めて眼鏡を買いました。ずっとよかった視力が悪くなったことで、まあ不便になったわけですが、望んだことでもあったのかもしれないんです。
もともと怪盗キッドへの憧れから(あの独眼竜的な片目用の眼鏡みたいなのをつけたくて)暗い部屋で片目のみ書による読書とかしてましたし
えー、っと、
まああまり見えなくなったことによって人の顔を認識できなくなったわけです。これが僕にはきっと一番大きかったです。
よい意味にもわるい意味にも。
よし、ではおわり。
2017/6/2 最近観た映画
最近観た映画。
「バケモノの子」★
「新劇場版エヴァンゲリヲンQ」
「シドニアの騎士」
「サカサマのパテマ」
「BLAME」
「ハーモニー」★
「屍者の帝国」
「風立ちぬ」★
「思い出のマーニー」★
「サマーウォーズ」
「コクリコ坂から」★
「ゲド戦記」
「Death Note ~light up the new world」
「秘密 the top secret」★
星のついたものについて書きます。
「バケモノの子」
細田守監督作品
主題歌がMr.Childrenのstarting over。公開当時、映画館で観た人には爽やかに夏を彩った良い思い出、物語として残っただろうと思う。プロモーション映像で(当時僕は)見えなかった男の子と女の子の青春が本編にはしっかりと組み込まれていた。
「ハーモニー」
あるシーンからの展開が名探偵コナンばり。
百合?レズ?的要素がある、というよりこのストーリー全体にちりばめられている。個性から抜け出す瞬間なんてない。
冒頭回想の台詞「あそこ」。直接的表現をされることによって、僕たちはどう思っただろうか。
この世界に居場所がないと言う君の、
じゃあ居場所はどこにある。
「風立ちぬ」
経験の有無に関わらず、天変地異は人間に圧倒的な恐怖を与えるのではないだろうか。僕はそれと分かった瞬間怖くて震えた。実際に鳥肌が立った。
夢との行き来が多いことによって、一人の人間の内側に観客がより深く入っていくことが出来たのではないかと思う。
史実、一人の人間の生涯。夢があり愛があり、敵のような人がいる一方思ってくれる人もいる。
「思い出のマーニー」
百合なんかじゃない。自分の存在が何か分からなくなって、他人が遠く、冷たく見えてしまう主人公が空想であり現実でもあるある少女と出会うことによって変わっていく。
廃墟に光が点っているように見えた一瞬から始まっていく。
戸惑いや謎は暖かな部屋に帰っていくから安心して見てもらえればと思う。
「コクリコ坂から」
恋のお話。時代の色がはっきり見える学生たち、楽しそうだ。
「秘密 The top secret」
ちょっと前に「羊たちの沈黙」三部作を観た以来、というかそれで気がついたというか、グロテスクなシーンをなかなか直視できない。
今、現実は死者に口なしであるわけだがこの映画の中では死者の見たものを見ることができ、死というものが変わった形に捉えられていく。
一人一人をもっと掘って見せてほしかった。、というか見たくなった。しかし二時間半の長作をよくあれだけ濃密で緊張感が途切れることのないものにしたなと、感心してしまう。
最後の視点。とても効果的だと思う。
以上。
あっという間に。
バナナムーンGOLDで本当によく言われるけれど、早い。今年はより早い。2017年始まったばかりだったのになあ。
最近、指の腹で潰せる程度の羽虫が徐々に出てくるようになってきた。去年の夏場はお風呂入ってると30匹くらいは潰したと思う。本を勢いよく閉じたりして。そして白い桶にポツポツと黒いそれらを落としていった。星のようで綺麗な気さえした。たぶんアガサ・クリスティの文庫本だった。かなり潰した。「指の腹で潰せる程度」、去年気に入っていた響きだ。
蜘蛛は殺さないようにしてるが羽虫は潰してる毎日。
キリトリ
「明日のことなんだけれど、」
けれど、という言葉を聞くと高校の同級生を思い出す。同じ部活の女の子。
「けれど」にその女の子が染み付いている。
小説を読んでいると、ふと思い出す情景があるように「けれど」という響きは瞬間もう高校時代に僕を連れていってしまう。無理矢理背中を押されて井戸に落とされるような、逃げようのない圧力。
日常で「けれど」言う人って周りにいますか?「だけど」に慣れていた、というかそれしか知らなかった僕には当時新鮮だったんだよな、「けれど」
キリトリ
読みやすい文章を書くのは難しいことだとこれを書いていて思う。
気取るのは良いけど、文学かぶれ?臭くなったりしかねない。というか大分そんな感じあるか。
化粧は程々にしないと、量あるから全部使っちゃえ!だと化け物ができるからなあ。
2016年度の終り
年度末、3月の終わりは時間がふわふわしているように感じます。そんななか、僕は年を1つ重ねます。二十歳ですね。
全く実感がありません。
2月末日、海浜公園にて、気に入っている写真。
春はピンク色のイメージ。
そんなピンクの季節が街を、僕のいる景色を染めていきます。高圧的に、筆なんか使われずにバケツをひっくり返すように乱暴に、一方的に春が来ます。
そして青春は長続きしません、永続きしないんですね。
先日図書館にて又吉さんの劇場を読みました。激情ではないですね。(ヾノ・∀・`)
舞台のお話です。
とても良い読後感でして、
読み終わって外に出ると、ライトブルーを聴きながら日差しに目を瞑って太陽を見つめました、顔全体が暖かくなって、幸せってこういうものか、何て思ったり。
aikoさんの「4月の雨」を聴きたくなる、聴こうと思う瞬間が多く訪れる4月。
6月の雨はMr.Childrenですね
4月雨 染まる道に立つ 私には
まだ見えないか 五月雨の日々
11月の瞑想
うわお、もう十二月も半ばではあーりませんか。
十一月、特に語るべきことはありません。もしくはないように思われます。
あれ、オーディション受けたのは十一月か。
ああ、とすればそれはあるな。
そうです、
この度ある劇団のオーディションを受けました。そして落ちました。
オーディションってものはどんな場所でどんな形で行われるのか、どんな雰囲気であるのかとても興味があったので、その点では収穫が多かったです。少しハードでしたが。
キリトリ
誰もが何らかの思いを常に水槽の中に住まわせていて、それはさっきまでザリガニだったのに、いまはカニになっていたりするものでして。面倒さんが見ればそれはとても煩わしいことでまさしく臭い、めっちゃ臭いものなのですが、理性さんが見ればそれを飼育しているのは俺なんだと自慢げに、でもたまに逃がしてしまって誰かに怒られたりして凹むこともあるんですと言われたりして。
今の僕はもう一時間後には死んでいるのです。ザリガニは死んで、というかカニがザリガニを食したわけです。実感はなくても。そう、そもそも実感が伴うことなんてそんなにないのでは?とも思われるのです。
キリトリ
切ない、懐かしい
音楽を聴いていると漠然とそんな言葉が頭に去来する、現れるのですが、それはなにか他の場合とは性質が違うのではないかと、最近疑っています。いつもピザを配達してくれるのが赤い帽子の女の子だとしたら、その女の子はたまに赤い目をした老いぼれ羊になっているかもしれないということです。共通点は持ちつつも、全く違うものかもしれないのです。
切ないじゃない、懐かしいじゃない言葉、
もはや言葉にならないこの感情、思い、さっきの話だと、そのザリガニに
本当の名前を付けてやること。いや、もはや名前でもなくて
そいつがどこからやってきたのか、何を食べて、どんな環境が生活しやすいのか
考えてやることが必要で、大切なのではないかという、一つの提案です。
その気持ちは本物ですか?
あなたは本物の気持ちをぞんざいに扱ってはいないでしょうか。
過ちては改むるに憚ること勿れ
自分にも言い聞かせつつ、2017年を迎えるyubinoharaです。
来年の今頃ははて、どこで何をしているでしょうか。
まあ、そんなところです。
風邪をひかぬよう、お気をつけて。