11月の瞑想

うわお、もう十二月も半ばではあーりませんか。

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十一月、特に語るべきことはありません。もしくはないように思われます。

あれ、オーディション受けたのは十一月か。

ああ、とすればそれはあるな。

 

そうです、

この度ある劇団のオーディションを受けました。そして落ちました。

オーディションってものはどんな場所でどんな形で行われるのか、どんな雰囲気であるのかとても興味があったので、その点では収穫が多かったです。少しハードでしたが。

 

 

 

キリトリ

 

 

誰もが何らかの思いを常に水槽の中に住まわせていて、それはさっきまでザリガニだったのに、いまはカニになっていたりするものでして。面倒さんが見ればそれはとても煩わしいことでまさしく臭い、めっちゃ臭いものなのですが、理性さんが見ればそれを飼育しているのは俺なんだと自慢げに、でもたまに逃がしてしまって誰かに怒られたりして凹むこともあるんですと言われたりして。

今の僕はもう一時間後には死んでいるのです。ザリガニは死んで、というかカニがザリガニを食したわけです。実感はなくても。そう、そもそも実感が伴うことなんてそんなにないのでは?とも思われるのです。

 

 

キリトリ

 

 

切ない、懐かしい

 

音楽を聴いていると漠然とそんな言葉が頭に去来する、現れるのですが、それはなにか他の場合とは性質が違うのではないかと、最近疑っています。いつもピザを配達してくれるのが赤い帽子の女の子だとしたら、その女の子はたまに赤い目をした老いぼれ羊になっているかもしれないということです。共通点は持ちつつも、全く違うものかもしれないのです。

 

切ないじゃない、懐かしいじゃない言葉、

もはや言葉にならないこの感情、思い、さっきの話だと、そのザリガニに

本当の名前を付けてやること。いや、もはや名前でもなくて

そいつがどこからやってきたのか、何を食べて、どんな環境が生活しやすいのか

考えてやることが必要で、大切なのではないかという、一つの提案です。

 

 

その気持ちは本物ですか?

あなたは本物の気持ちをぞんざいに扱ってはいないでしょうか。

過ちては改むるに憚ること勿れ

自分にも言い聞かせつつ、2017年を迎えるyubinoharaです。

来年の今頃ははて、どこで何をしているでしょうか。

 

まあ、そんなところです。

風邪をひかぬよう、お気をつけて。